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マイペース70代

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数学の思い出

日記リンクしている秀0430さんは、数学の先生のようである。
秀さんの日記(12日20日)へのコメントで、私自身が数学嫌いになった理由に少し触れた。
そのことで色々なことを思い出したので、今日の日記に書こうと思う。

私は最初から数学が嫌いなわけではなかった。
少なくても、中学生頃までは苦手意識はなく、パズルを解くような感じで成績もさほど悪くはなかったと思う。
しかし、中学三年生の頃(だったと思う)から、次第に面白いとは思わなくなってきた。
数学というよりは、学校の勉強そのものに面白さを感じなくなっていったと思う。
田舎の学校ではあったが、やはり高校受験は大きな関心事であり、私の高校進学の時から小学区制から大学区制になるというので、教師達は都会の学校に成績優秀な生徒を送り込もうと、私たちにハッパをかけ始めた。
もともと、私は「競争」ということが嫌いな性質で、成績が優秀なだけで、あるいは運動が得意で走るのが速いだけでもてはやされるということが、イヤになりはじめていた。
(私は、どちらでももてはやされることはなかったせいだろう)
数学という教科は、○×がはっきりしている科目だし、頭の良し悪しを測るのに都合が良いのか、「数学で良い成績を取る人=優秀」と見られがちで、そのあたりに嫌悪感を抱き始めたのだ。
同級生で数学が出来るM君は、やたら理屈っぽくて何かにつけて文句(批判)を言い、クラスの団結心をくじくところがあり、彼の頭の良さを認めつつも尊敬できなかったのだ。
数学ができることと彼の性格にはあまり因果関係もないのだが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではないが、数学教師が彼を誉め、彼のようにガンバレみたいなことを言ったりすると、天邪鬼な私は「頑張るもんか」という気持ちになってしまったことを思い出した。

そのように、数学に対して多少いじけた気持ちを持ちながら高校に進学したわけだが、ここで出会った数学教師は、人柄としては率直で、それなりに生徒思いの良い先生だったのではないかと思うが、私の数学の先生としては最悪であった。
最初は何とか授業についていった私であるが、一年生の後半であろうか、公式についてどうも自分ですっきりと理解できなくなっていった。
私の頭は、自分なりに納得できないと覚えることもできないという不器用さがある。
数学が得意な男子に聞いてみたが、彼なりに色々説明してくれても私には理解できなかったりで、とうとう勇気をふるって職員室を訪ねた。
私が知りたかったのは、「どうしてこの公式は成立して絶対的なのか」ということだったと思う。
それに対して、
「そう決まっているからだ。公式は暗記して利用することだけを考えればいいんだ」というようなことを言われたのだ。
その時の教師の表情も、私ははっきりと覚えている。
それは、(色々説明してもこいつにはわからんだろう)というような、多少馬鹿にしたような表情だったのだ。

確かに、私は先生の説明が理解できなかったからそのような状態になったので、やむを得ないことだったのかもしれない。
だが現実に私の疑問は無視され、数学は決まりきったことを文句なく受け入れなくてはならない教科だということだけが教えられたのである。
これで数学が素直に好きになる人がいたら、お目にかかりたいものだ。

結果的に、私はその教師とセットで数学嫌いとなり、試験ではいつも赤点すれすれであった。
悪いことに、その教師は私の学級担任であり、三年生の時には面談で言われた。
「おまえはオレに恨みでもあるのか?」
つまり、数学が他の教科と比べて考えられないほどひどい成績だったのだ。

私に言うだけならまだしも、彼は私の母にまで言ったそうだ。
「やればできるのに、勉強しようとしない」と。
帰宅した母は、「おまえのせいで恥をかいた」と私を叱った。
それでも私は、二人の前ではその理由は語らず貝のように口を閉じ、無言の反抗をしていた。

その教師の授業で、強く記憶に残っている次の言葉がある。
「今やっている数学は、日常生活では役に立たないかもしれない。だが、数学は順序だてて考えるという訓練をする意味があるのだ」。
その言葉だけを取ったら正しいと思うが、私にしたら「言っていることとやっていることが違う」という証明のように思えて、いよいよ腹が立ってしまった。
だからこそ、その言葉を覚えているのだと思う。
その教師に関しては、クラス担任としての楽しい思い出があって良いはずなのだが、申し訳ないがそのようなイヤな思い出しかない。
私はけっこう、執念深い性格のようだ。

2004年12月22日


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